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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)10993号 判決

原告

水野隆

右訴訟代理人弁護士

右田堯雄

被告

有吉新吾

外一七名

被告ら訴訟代理人弁護士

青山義武

長谷部茂吉

鈴木醇一

主文

被告有吉新吾、同鹿野達三、同松川誠治、同大沢誠一、同小松原俊一及び同野口喜次郎は、各自訴外三井鉱山株式会社に対し、金一億円及びこれに対する昭和五一年一二月一日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の被告らに対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告と被告有吉新吾、同鹿野達三、同松川誠治、同大沢誠一、同小松原俊一及び同野口喜次郎の間においては、原告に生じた費用の三分の二を同被告らの負担、その余は各自の負担とし、原告とその余の被告らの間においては、原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告

1  被告らは、各自訴外三井鉱山株式会社に対し、金一億円及びこれに対する昭和五一年一二月一日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

との判決

二  被告ら

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

訴外三井鉱山株式会社(以下「訴外会社」という。)は、本店を東京都中央区日本橋室町二丁目一番地一に置き、鉱業、採石業、土砂採取業等を主たる営業の目的とする株式会社であり、被告らは、昭和五〇年一一月当時、いずれも訴外会社の取締役(うち有吉、鹿野、松川、大沢、及び小松原の五名は代表取締役)の地位にあつた者であり、原告は、昭和五三年三月三〇日から訴外会社の株式一、〇〇〇株を所有する株主である。

また、訴外三井三池開発株式会社(以下「三池開発」という。)は、資本金の全額を訴外会社が出資し、不動産の管理、貸借、売買、仲介及び鑑定等を営業目的とする訴外会社の子会社であつて、その経営権はあげて訴外会社の手中にゆだねられており、その営業方針については事前に訴外会社の承認を受ける関係にあつた。

2  (戸栗による株式の買占め)

訴外戸栗亨は、昭和四七年四月ころから訴外会社の株式の買占めを企図し、これの大量取得に乗り出し、昭和五〇年九月末ころには、同人及びそのグループの個人、法人名義の株式をあわせると、当時の訴外会社の発行済株式総数六、〇〇〇万株のうち一、五五〇万株を取得するに及んだ。

3  (戸栗からの株式買取りの経緯)

当時、訴外会社は、総合資源会社への体質改善を目指しており、その一環として、子会社である三井セメント株式会社を早期に合併する計画を有していたが、大株主である戸栗が右合併に反対の意向を示し、株主総会において三分の二の賛成による特別決議を得ることが危ぶまれるに及んで、訴外会社の役員であつた被告ら全員は、自らの経営権能の保持と、右合併計画の速やかな実現を意図して、昭和五〇年一一月中旬に開かれた同社の取締役会において、戸栗の所有する訴外会社の株式を子会社である三池開発に買い取らせることを決議した。

仮に右取締役会の決議がなかつたとしても、被告有吉、同鹿野、同松川、同大沢、同小松原は、昭和五〇年一二月初旬に開かれた常務会において右の事項を承認し、その余の被告らは、訴外会社の取締役として、右株式買取りの方針決定に関与し、これを支持したものであり、このことは、三池開発と訴外会社との前記(1後段)のような関係からして明らかである。

4  (株式の買取り及び売渡しの実行)

訴外会社の右決定を受けて、三池開発は、昭和五〇年一二月二五日戸栗から訴外会社の株式一、五五〇万株を一株五三〇円、総額八二億一、五〇〇万円で買い受け、翌五一年三月末までの間に、これらの株式を訴外三井物産株式会社、株式会社三井銀行等三井グループの有力数社及び訴外会社の有力取引先数社に一株の平均売渡価格約三〇〇円、総額四六億六、三四〇万円で売り渡した。

5  (訴外会社の損害)

三池開発は、前記のとおり、訴外会社の株式一、五五〇万株を総額八二億一、五〇〇万円で買い取り、これを総額四六億六、三四〇万円で他に譲渡したのであるから、その差額である三五億五、一六〇万円相当の資産の減少をきたしたことになり、右株式の売買により右相当額の損害を受けた。

そして三池開発が前記のとおり訴外会社の全額出資の子会社であるという関係から、その損害は、すべて訴外会社の損害というべきである。

6  (自己株式取得の違法)

三池開発による訴外会社株式の取得は、前記1後段のような両社の関係からして、訴外会社の自己株式の取得に該当するものというべきであり、商法二一〇条(昭和五六年法律第七四号による改正前)に違反する行為といわなければならない。

7  (被告らの責任―商法二六六条)

被告らは、前記のとおり、自己株式の取得という法令に違反する行為をした者であるから、商法二六六条一項五号により訴外会社の被つた前記損害を、連帯して訴外会社に賠償すべき義務がある。

8  (被告らの責任―予備的主張の一)

仮に、自己株式の取得自体によつて前記の損害が発生したものでないとしても、前記2ないし4のような株式の買取り、売却の経緯からして、被告らは、事前に、三池開発の戸栗からの買取り価格と三井グループ各社への売渡し価格との間に前記のような差異があり、その結果三池開発ひいては訴外会社に前記5のような損害が生じることを了知しながら、右株式の買取り及び売渡しの行為をなさしめたものである。被告らの前記の所為は、訴外会社に多大の損害の発生することを承知のうえであえてしたことであつて、商法二五四条の三の規定に違反するものというべく、この法令違反の行為により訴外会社の被つた前記5の損害を、連帯して訴外会社に賠償すべき義務がある。

9  (被告らの責任―予備的主張の二)

また、仮に、右7、8の主張が理由がないとしても、被告らの前記所為は、商法二五四条三項、民法六四四条の定める受任者の善管注意義務に違反するものというべきであるから、右法令違反の行為により訴外会社の被つた前記5の損害を賠償すべきこと前記と同様である。

10  (代表訴訟の前提手続)

原告は、商法二六七条一項、二七五条ノ四後段の規定に基づき、昭和五三年一〇月二日到達の書面をもつて、訴外会社の監査役舛本武夫、同野口喜次郎に対し、訴外会社において被告らの前記行為の責任を追及し、損害の賠償を求める訴を提起するよう請求したが、同社は、同法二六七条二項所定の期間を経過するもその訴を提起しない。

11  (訴の提起)

そこで、原告は、同法二六七条二項の規定に基づき、訴外会社のため、被告らに対し、連帯して、訴外会社に前記損害のうち一億円と損害発生の後の日である昭和五一年一二月一日から完済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うよう求める。

二  被告らの本案前の抗弁

1  原告が訴外会社の株式一、〇〇〇株を取得して同社の株主となり、その旨同社の株主名簿に登載されたのは、昭和五三年三月三〇日であり、右株式の取得価格は、三〇数万円であつたと推測されるが、この取得時期は、訴外会社が自己株式を取得したと原告が主張する時期より二年も後のことであつた。

2  原告は、右株式取得後間もない昭和五三年五月一一日、突然訴外会社に対し、同社に自己株式取得の違法行為がある旨を内容とする内容証明郵便を送りつけてきた。訴外会社では、右行為の真意をただすために、久保田株式課長をして原告と面談させ、その後長沼総務部長にも原告と懇談させた。その際、原告は、「訴訟の勝敗は問わない。裁判になれば私の名前が売れる。そうすれば顧問料が高くなる。」、「三井銀行、三井物産をはじめ三井各社の社長を証人に引つ張り出す。そうなつたら三井鉱山も困るだろう。」、「会社の方は大三井だから負けたら大変だろうが、私は蚤のような存在だから負けてもともとである。」などと発言した。

3  さらに原告は、本訴提起直後、司法記者クラブを訪れ、各新聞社の記者らに訴状を配付し、右訴提起の事実及びその理由の説明等を行つたり、「三井鉱山株式会社の為に商法第二六七条(株主の代表訴訟)の訴を提起する趣旨について」と題する原告の署名入り文書を訴外会社の大株主上位数社、東京証券取引所、法律・経済専門誌数社等各方面に送付するなど熱心な宣伝活動を展開している。

4  原告の前身はいわゆる総会屋の由であり、現在は株式会社叶の代表取締役であるが、右肩書を付した名刺のほか、「経営カウンセラー水野隆事務所、水野隆」と表示したもの、または表面に「水野隆事務所代表、水野隆」と表示し、裏面に「関係顧問先」として有名無名の会社・団体名を刷り込んだもの等幾種類かの名刺を使用しているが、右経営カウンセラーなるものの業務の実体等が明らかでない。

5  ところで、代表訴訟は、いわゆる共益権とされているが、その窮極の目的は、各株主をして右権利の行使により会社にその被つた損害を回復させ、ひいては株主自身の正当な利益の擁護に役立たせようとするものであるところ、本件では仮に原告主張のとおり被告らの違法行為により訴外会社が損害を被つたものとし、原告の本訴請求額一億円が訴外会社に賠償されたと仮定しても、訴外会社の発行済株式数九、五七〇万株をもつてこれを除して計算してみると、一、〇〇〇株の株主である原告の受けるべき経済的利益はわずかに一、〇四〇円(それも単なる観念的間接的利益であるが)にすぎないこととなるのであり、本訴遂行上の諸費用等を考えれば、当面の経済的利益に関する限り、原告個人にとつてこれほど割の合わない訴訟はない。

6  原告は、本訴提起の目的を、不当な株の買占め、会社側によるその肩代わり、あるいはまた関連会社への肩代わりの斡旋といつた一連の市場外取引を規制する特別法の立法化推進の一翼を担わせることにあるなどと主張しているが、右目的達成のために本訴が果して適切な手段方法であるかは甚だ疑問であつて、真の意図が右のようなものであるとはとうてい信ずることができない。

7  以上によれば、原告の本訴提起の意図はいわゆる「売名」にあるというべく、したがつて本訴は、明らかに代表訴訟の本来の目的を甚だしく逸脱したものであり、株主権の濫用といわざるをえないものである。

三  本案前の抗弁に対する原告の認否及び主張

1  原告の本訴提起の意図が「売名」にあるという点、本訴提起直後に原告が司法記者クラブを訪れ、記者らに訴状を配付したという点及び原告の前身が総会屋であるという点は否認し、本訴が株主権の濫用にあたるという主張は争う。

2  原告は、株式買占者と会社首脳陣らとの癒着という禍根を断ち切り、不当な目的による株式買占め及び買占株式買受けの斡旋等の規制の立法化を促すことによつて証券取引所の健全な育成発展を願い、大衆投資家の利益擁護を窮極の目的として、本訴を提起したものである。

原告が被告ら主張のように各方面に啓蒙活動を行つていることは事実であるが、その理由の一つは、広く識者層の声を結集して右の立法化を促進するためであり、今一つは、原告と志を同じくする株主らに訴訟参加をすべき機会を与えるためである。

四  請求原因に対する被告らの認否

1  (当事者)について

1のうち、三池開発の経営権があげて訴外会社にゆだねられていたとの点は否認し、その余は認める。

2  (戸栗による株式の買占め)について

2のうち、戸栗が昭和四七年四月ころから訴外会社の株式を大量に取得したこと及び同五〇年九月末当時における訴外会社の発行済株式総数が六、〇〇〇万株であつたことは認めるが、戸栗の右株式取得の目的が株式の買占めにあつたか否かは不知。同五〇年九月末ころの戸栗及びそのグループ名義の訴外会社株式は約一、四〇〇万株(発行済株式総数の二四パーセント弱)であつた。

3  (戸栗からの株式買取りの経緯)について

3のうち、当時訴外会社が子会社である三井セメントを合併する計画を有していたこと、戸栗が右合併に反対し、そのため合併に賛成の特別決議を得ることが危ぶまれるに至つたこと、及び被告有吉、同鹿野、同松川、同大沢、同小松原による訴外会社の常務会において株式買取りの件が承認されたことは認めるが、その余の事実は否認する。三池開発による株式買取りの経緯は後記五のとおりである。

4  (株式の買取り及び売渡しの実行)について

4の事実は認める。

5  (訴外会社の損害)について

5のうち、計算上三池開発に原告主張の額に相当する資産の減少があつたことは認めるが、それが三池開発及び訴外会社の損害であるとの主張は争う。

6  (自己株式取得の違法)について

6の主張は争う。

三池開発による訴外会社株式の取得の経緯は後記五のとおりであり、訴外会社が自己株式を取得した場合には当たらず、商法二一〇条に違反しない。

7  (被告らの責任)について

7ないし9の主張はすべて争う。

仮に三池開発による右株式の取得が訴外会社の自己株式の取得に該当するとしても、原告主張の損害は、訴外会社が三池開発をして株式を取得価格よりも安値で転売させたことにより生じた損害であつて、商法第二一〇条の禁ずる自己株式の取得そのものにより生じた損害ではないから、同条違反を理由として右損害の賠償を求められる理由はない。

また、後記五の事情の下においては、被告らの行為は取締役の忠実義務ないしは善管注意義務に違反しない。

8  (代表訴訟の前提手続)について

10の事実は認める。

五  被告らの抗弁

訴外会社が三池開発をして訴外会社株式を取得させたのは、訴外会社による三井セメントの合併及び株式安定化率の向上等の正当な目的を達するためのやむをえない必要に基づくものであり、取得後遅滞なく他へ転売させることを前提として、暫定的に取得させたにすぎず、現にきわめて短期間内に右株式全部の転売を終つたのであるから、右株式の取得が仮に自己株式の取得と同視されるとしても、右取得はなんら商法二一〇条の法意に反するものではない。

三池開発による右株式取得の経緯等は次のとおりである。

1  訴外会社は、戦前いわゆる三井財閥の中核企業の一つであつて、その株式のほとんど全部がごく少数の三井一族の手に掌握されていたが、終戦後占領軍の財閥解体政策に基づき、右株式が全部市場に放出されるに及び、株主数は激増し、昭和五〇年当時約一万六、〇〇〇名の株主がいた。そして右多数の株主のうち、安定株主とみられる者の所有株式数が発行済株式総数に対して占める比率(株式安定化率)は数パーセントないし一〇数パーセントにすぎなかつた。

したがつて、訴外会社においては、経営の安定及び将来の発展のために、かねてから株式安定化率の大巾な向上が強く望まれていた。

2  昭和四七年六月ころ戸栗が訴外会社株式を大量に買い付けているとの噂が流れ、株価が急騰を始めた。同年九月末訴外会社の株主名簿に戸栗が初めて大株主として登載され、昭和五〇年末ころには同人名義の株式数が七四八万四、〇〇〇株あり、これに第三者名義の株式で実質上完全に戸栗の支配下にあるとみられる株式約六五〇万株を含めると、約一、四〇〇万株にも達し、訴外会社の発行済株式総数の二四パーセント弱を同人が支配することとなつた。

3  ところで、訴外会社はかねてから子会社である三井セメントを合併する計画を有していたところ、昭和五〇年八月ころに至り、合併の諸準備が成り、同年一一月中ころには三井セメントの株主全部の了解を取りつけることができたので、同年一一月二七日の訴外会社の取締役会において、合併期日を翌五一年四月一日と定めて合併を行う旨を決議した。

しかしながら、合併には双方の会社の株主総会の特別決議を要するところ、訴外会社の株主中に浮動株が過半数を占めていた当時の状況下では、合併実現のためには戸栗の賛成が絶対に必要であつた。そこで、訴外会社は昭和五〇年一〇月初めころ同人に対し、右合併の方針を説明し、協力方を要請したところ、同人は一たんは快く賛成する旨述べたので、訴外会社は合併の準備を進めたのであるが、同年一一月二四日に至り突然同人から訴外会社に対し、合併に反対の旨の申入れがなされた。訴外会社は、驚きかつ困惑し、同人の説得に努め、折衝を重ねた結果、戸栗が所有しまたは完全な支配下においていた訴外会社株式等の売却につき、訴外会社が斡旋その他の労を執ることとして、妥協が成立するに至つた。

4(一)  昭和五〇年一二月四日戸栗と訴外会社との間に戸栗株の売買斡旋等に関する契約が成立した。その要旨は、①訴外会社は、戸栗がその所有の訴外会社株式一、五〇〇万株(のちに一、五五〇万株に変更された。)を三井グループ各社または訴外会社の取引先等に売却するにつき斡旋する、②売却代金は一株当り五三〇円とする、③戸栗は、右斡旋に関する合意の成立に伴い、訴外会社の同五一年一月末開催予定の三井セメント合併のための臨時株主総会の議案に賛成し、直ちにその委任状を訴外会社に交付する、というものであつた。

(二)  訴外会社は、右斡旋契約の履行のため、取りあえず訴外会社株式を子会社の三池開発に買い取らせることとし、同社をして同五〇年一二月二五日戸栗との間に一株五三〇円で右株式の売買契約を締結させ、同契約に基づき同人から右株式全部の引渡しを受けさせることに成功した。

次いで訴外会社は、翌五一年一月末から三月末までの間に、三池開発をしてその取得した訴外会社株式のうちの大部分を三井物産、三井銀行等三井グループの有力数社に、残余を訴外会社の有力取引先数社にほぼ当時の市場価格である一株当り金三〇〇円ないし三〇七円で売り渡させ、かくして戸栗株の三井グループ等による肩代りが実現をみるに至つたのである。

(三)  訴外会社が戸栗との間に前記のような斡旋契約を締結し、戸栗支配下の訴外会社株式を三井グループ各社等に肩代りしてもらうことに努力したのは、三井セメントの合併は訴外会社の事業の発展のため絶対に必要で、しかも当時の諸般の状況からみて、この機会を逸すれば合併は将来とも不可能になるおそれがあつたため、ぜひともこの機会に合併を実現すべく、それには戸栗の希望に従い右斡旋契約を応諾することにより同人から合併の同意を取りつける必要があつたこと、及び斡旋が成功して戸栗支配下の株式が三井グループ各社等に肩代りされれば、訴外会社の多年の念願であつた株式安定化が成就し、経営基盤が万全となると判断されたことによる。

また、訴外会社が右斡旋契約の履行に当たり、前記のような方法をとつたのは、一、五〇〇万株余にも及ぶ大量の株式の買取りを三井グループ各社に承諾してもらうには、若干の日数が必要である一方、戸栗が前記株式の換価を急いでおり、当面の三井セメントの合併手続をほぼ既定の日程通りに進めるためには、早急に同人の委任状を取りつける必要があつたためである。

5  訴外会社は、右斡旋契約の締結、履行により、三井セメントとの合併を成就させることができ、また株式安定化率の飛躍的向上に成功したが、このことが同社のその後の業績の向上、経営の安定に寄与したことは甚だ大きく、これによる成果は同社自身したがつて全株主の利益に帰するものであることはいうまでもないところである。

六  抗弁に対する原告の認否

1  抗弁冒頭の事実のうち、訴外会社がその株式を三池開発に取得させた行為が商法二一〇条の法意に反するものではないとの主張は争う。

2  抗弁1の事実は知らない。同2の事実は認める。同3の事実のうち、訴外会社が三井セメント株式会社を合併する計画を有していたこと、訴外会社と戸栗との間に話合いがもたれたことは認めるが、その余の事実は知らない。同4(一)の事実は知らない。同4(二)の事実のうち、三池開発が昭和五〇年一二月二五日戸栗から戸栗株を一株金五三〇円で買い受けたこと、三池開発が右株式を同五一年三月末日までに三井グループの有力数社及び訴外会社の有力取引先数社に売り渡したことは認めるが、右売渡価格が一株当り金三〇〇円ないし三〇七円であつたとの点は否認する。同4(三)の事実は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1の事実(当事者)中訴外会社、原告及び被告らに関する部分並びに同10の事実(代表訴訟の前提手続)は当事者間に争いがなく、原告が右10の請求から三〇日を経過した後に本訴を提起したことは当裁判所に顕著である。

二株主権濫用の主張の成否について

被告らは、原告の本訴提起の意図はいわゆる売名にあり、本訴は明らかに代表訴訟の本来の目的を甚だしく逸脱したもので株主権の濫用にあたる旨主張するので、まずこの点について判断する。

1 右一の争いがない事実に、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  昭和四七年から昭和五一年にかけて、後述するように戸栗亨による訴外会社の株式の大量取得、訴外会社の関連会社による右株式の買取り及び三井グループ各社等への売渡しが行われたが、このことは、当時証券業界では周知の事実であり、新聞、経済誌等を通じて報道され、原告も右報道等を通じてこれを知つていた。

(二)  原告は、企業コンサルタント業、金融業等を営む株式会社叶(事業所大阪市北区所在)の代表取締役であつたところ、三池開発が振出し、訴外会社及び戸栗亨の氏名が手形面上に記載されている金額五億円の約束手形を見聞し、右手形は右(一)記載の株式の買取りに関係しているのではないかと考えて事実関係に関する調査を始めた。

(三)  原告は、昭和五三年三月三〇日ころ、訴外会社の株式一、〇〇〇株を三〇数万円位で取得した。そして原告は右株式を現在まで保有している。

(四)  原告は、同年五月一一日、訴外会社に対し、質問状(乙第一号証の一)を送付した。その要旨は次のとおりである。すなわち、「原告は訴外会社の株主であるが、調査の結果、戸栗亨が昭和四七年四月から訴外会社株の買占めを図り、昭和五〇年九月期末には訴外会社の発行済株式総数六、〇〇〇万株の三分の一近くを占める株式を確保していたこと、訴外会社は昭和五〇年一一月戸栗からその全持株を、当時一株三五〇ないし四一〇円の相場であつたにもかかわらず、その二倍近い価額で買取り、三池開発振出の約束手形に訴外会社が裏書して支払に充当したこと、訴外会社は三池開発の資本金の全額を出資しており、役員、人事及び営業方針は事前に訴外会社の承認を受けるとの内規があつたから三池開発は訴外会社そのものであるといえることなどの事実を確認した。右の株式の取得は商法二一〇条に違反する。そこで、(1)昭和五〇年一一月に大量の自己株式を取得した理由、(2)買取株式の総数及び価額、(3)右代金の支払を三池開発振出の手形に訴外会社が裏書する方法によることにした理由、(4)戸栗からの買取価額と三井グループ各社への売渡価額との差損についての決算上の処理方法についてそれぞれ回答を求める。」というものであつた。

(五)  これに対し、訴外会社は、昭和五三年五月二五日付けで長沼総務部長名で返信(甲第二号証)を出した。それには、訴外会社は、三井グループにおける資源会社として営業を行つてきたが、その株主構成はグループ各社の株式保有率が低く、そのためかねてより関係各社においてその絆を一層強固なものにしたいと意図していたところ、先年その実現をみたものであるとしたうえで、株式の取引についてはそれぞれ当事者の立場もあり、当社は申述する立場にない旨の記載がなされている。

(六)  原告は、同年六月五日付けで訴外会社の代表取締役社長である被告有吉と長沼総務部長の各自宅に宛てて書状(乙第一号証の三、甲第四号証)を発送した。その内容はいずれも右(五)の返信では何ら質問に対する回答がなされていないことに不満を述べるものであり、被告有吉に対するものでは再度右(一)記載の質問状に対する具体的かつ明確な回答を求めている。

(七)  そこで、訴外会社は、同月九日付けで長沼総務部長名で返書(甲第五号証)を発送したが、それによると、右(一)の質問状で指摘されている株式の移動は当事者間の私的売買であり、証券市場とは直接関係はなく決済条件その他何ら制限のないものであると述べられており、その他の事項については紙面では意を尽くすことができないので担当課長を大阪に出張させるとして原告との面談を求めている。

原告は、訴外会社の右の申入れを応諾し、その結果、同月二三日に訴外会社大阪支店で原告と訴外会社の久保田株式課長とが会うことになつた。

(八)  訴外会社では、原告の所有する株式数が少ないこと、原告が右(一)の株式の買取り及び売渡し当時の株主ではないこと、訴外会社の株式取得後間もなく右(四)の質問状を送付してきていることなどから、原告の要求は総会屋的発想に基づくもので背後には金銭的要求が隠されているのではないかとも考えていた。そこで、長沼は、原告との会談に先立ち、久保田に対し、原告が右(四)のような質問状を送付してくる意図を把握してくるよう指示した。

(九)  原告と久保田は同月二三日に会談し、その席で原告は右(一)の株式の買取り及び売渡しについての具体的事実関係を問いただしたが、久保田は、訴外会社が三井セメントを合併することに戸栗が反対した機会に三井グループ各社が訴外会社の株主の安定化に協力する趣旨で戸栗の所有する株式の買取りを行つたと説明しただけで、右(一)の株式の買取り及び売渡しは法律に触れるものではないとし、また取引の実態についても必らずしもその詳細を株主に開示する義務はないとして、事実関係についての具体的な説明を拒んだ。

その際、久保田は、原告に車代と書いた封筒を渡そうとしたが、原告はこれを受領しなかつた。

(一〇)  原告は、右会談後の同年七月四日付けで訴外会社に対し、右(九)の会談までのやりとりでは質問の焦点である取引の実態について具体的な説明がないとしたうえで、戸栗からの買取り価額と三井グループ各社への売渡し価額、その差額についての決算処理、戸栗に対する代金支払に三池開発振出の手形に訴外会社が保証する方法を取つた経緯、右手形決済資金の負担者、右(七)の文書中の株式買取り及び売渡しの当事者とは誰を指しているのかなどの諸点について回答を求める文書(乙第一号証の六)を発送した。

(一一)  これに対し、訴外会社は、同月一二日付けで、長沼総務部長名で、右(一)の株式を三井グループ各社が取得した件の詳細及び経過については諸般の事情と紙面では意を尽くせないことから回答を差し控えるとし、原告の上京の際に長沼総務部長が面談したい旨の返信(甲第七号証)を出したが、原告は、同月二一日、わざわざ訴外会社に赴くまでのことでもないとしてこれを拒絶し、戸栗からの買入れ価額のみを端的に回答するよう求める文書(乙第一号証の八)を送付した。

(一二)  訴外会社は、これに対して何の返答もしなかつたが、その後は原告の方から文書等で右(一)の株式の買取りや売渡しに関する照会を行うことはなくなつた。

(一三)  久保田課長は、同年九月一八日、大阪出張の機会をとらえて原告に接触しようとして、大阪市北区所在の原告の事務所を訪れた。このときは双方からとも戸栗所有株式の買取りの件については具体的な話はなされなかつた。右席上、原告から、同年一〇月には訴外会社の株式を取得してから六か月が経過するので代表訴訟を提起する資格が備わるとの発言があり、久保田は、上京の際には長沼総務部長において会う用意があることを重ねて伝えたが、右当日及びその後を通じ原告の方から長沼との面会を求めることはなかつた。

(一四)  原告は、同年一〇月二日到達の書面をもつて、訴外会社(代表者監査役舛本武夫、同野口喜次郎)に対し、「商法二六七条一項による請求」と題する書面(乙第二号証)を送付して右(一)の株式買取り及び売渡しに関し被告らに損害賠償を請求する訴を提起するよう求めた。

(一五)  原告の訴訟提起の意思が固いことを知つた訴外会社は、何とか代表訴訟を提起させずに原告との間で結着をはかろうと考え、同月二〇日及び三〇日、長沼総務部長と久保田株式課長を大阪に出張させて原告に面談を求め、訴外会社大阪支店で原告と会談させた。右両日においても長沼らから右(一)の株式の買取り及び売渡しの事実関係についての説明は一切なかつた。その際、原告からは「裁判の勝ち負けは問題ではない。裁判になれば自分の名前が売れる。」「三井物産、三井銀行の社長が証人に出なければならなくなつたら三井鉱山は困るだろう。」「自分は蚤のような存在だから負けてもともとだけれども三井鉱山は大会社だから負けたら大変だろう。」といつた発言がなされたが、長沼らも「訴訟になれば会社は徹底的に戦う。」「訴訟をやるよりも株主として友好的なつき合いをした方がよいのではないか。」などと述べている。結局右両日の会談によつても原告と訴外会社との間では何ら事態の進展はなかつた。

(一六)  原告は、同年一一月八日、本訴を提起したが、その際、訴を提起すれば訴訟関係の費用について個人的負担が相当額に達し持ち出しになることを十分認識していた。

(一七)  原告は、本訴提起に際して、新聞その他の報道機関、東京証券取引所、商法学者その他各方面に対し、「三井鉱山株式会社の為に商法第二六七条(株主の代表訴訟)の訴を提起する趣旨について」と題する文書等(乙第三号証の一、二)を一、〇〇〇通位発送した。右文書には本訴提起の意図は「単に三井鉱山株式会社の重役陣をのみ叩くことにあるのではなく、あまりにも長年の陋習に沈澱しきつた巨大資本の経営者に一大警鐘を鳴らすとともに、更に一歩進めてただ証券業界のみならず広く政界、財界の有力識者の力によりこの不当な株の買い占め、会社側によるその肩代わり、あるいはまた関連会社への肩代わりの斡旋という一連の市場外取引を規制する特別法の立法化推進の一翼にこの訴訟が役立つてほしいとの念願もこめられている。」との記載がある。

(一八)  これを受けて、新聞等報道機関は、原告の氏名を明記して本訴状の要旨を紹介するなどの記事を掲載した。

(一九)  原告は、その後も本件訴訟の経過を年賀状、暑中見舞に記載して各方面に発送した(乙第四号証の一、二はその一例である。)。

以上の各事実を認めることができる。

なお、証人久保田重民の証言中、原告が本訴状提出直後に裁判所の司法記者クラブで本訴の内容について記者会見を行つたとの供述部分はそれ自体伝聞に基づくものであり、他にこの点についての確証はなく、ただちにこれを採用することはできない。

2 右認定事実に基づき、本訴提起の目的が売名にあるかどうかについて考える。原告は、戸栗所有株式の買取りや右株式の三井グループ各社等への売渡しが行われた当時、報道機関による報道等を通じてその概要を知つていたが、後に右買取りの際に振出されたとみられる約束手形を見聞するに及んで右事実に関する調査を始めたこと、その後訴外会社の株式を取得し、その一か月半後には訴外会社に右事実に関する質問状を送付し、以後も書面により執拗に右の事実関係に対する回答を求め続けたこと、昭和五三年九月訴外会社の久保田課長と会つた際に代表訴訟提起の要件である六か月間の株式保有を意識した発言をしていること、右の要件を充足した日の数日後には本訴を提起していること、以上の各事情が存するのであつて、原告は当初から本訴を提起するために訴外会社の株式を取得したふしが窺われる。そればかりでなく、原告は右の買取り及び売渡しの約二年後に訴外会社の株式を取得したものであるから、右の買取り及び売渡しによつては自らは直接にも間接にも何の損害も被つていないのであり、それにもかかわらず総株主のため本訴を提起するとなると訴訟関係の費用が相当持ち出しになることを十分認識していたのであつて、さらにこれらの事実に加えて、原告の所有する株式数、右株式の取得代金額、本訴提起後の報道機関その他に対する対応状況、長沼、久保田との面談の際の言動等をも考え合せると、原告の本訴提起の目的が売名にあることを疑わせる一応の理由があるといえなくはない。

しかしながら、他方、原告は訴外会社に対し一切金銭的要求を行つておらず、車代の受取りも拒んでおり、昭和五三年七月までの訴外会社との書面によるやりとりや久保田との面談の際には、戸栗所有株式の買取り等についての事実関係を明らかにするよう求めているにすぎないのであつて、一見売名目的を窺わせる原告の言動は同年一〇月二〇日と三〇日の長沼、久保田との会談の際になされたと認められるにすぎない。しかも、右両日の会談は原告が本訴提起の要件を備える直前に行われたものであつて、本訴提起を防止するために訴外会社の側から求めたものであるうえ、右会談の席上では前記の株式の買取り及び売渡しの事実関係については特に何のやりとりもなされていないのであり、また訴外会社は当時原告を総会屋(この点についてはこれを認めるに足りる証拠がない。)ではないかと考え、右事実関係を明らかにすることなく原告に本訴提起を断念させようとの方針をとつていたと思料されることをも考え合わせると、右両日の会談ではまず原告の方から前記の問題の発言がなされたのではなく、むしろ長沼らの方から「訴訟になれば訴外会社は徹底的に戦う。」「訴訟をやるよりも株主として友好的なつき合いをした方がよいのではないか。」との発言があり、「裁判の勝ち負けは問題ではない。裁判になれば自分の名前が売れる。」等々の原告の発言はこれに答える形でなされたと推認することができるし、このような右両日の会談の際の状況からすると、一切事実関係を明らかにしないで原告が総会屋であることを前提にした対処をしようとする長沼らの態度、言動に感情を害し、長沼らの発言に対する感情的な返答として前記の問題の言動をしたとの原告の供述部分も直ちに排斥することはできないのであつて、原告が前記の発言をしたからといつて、これだけを切り離してもつぱら原告が表現内容どおりの意図を有していたと断ずることは相当でない。

このようにみてくると、原告が売名を目的として本訴を提起した疑いは残るものの、なおこれを確信するまでには至らず、結局この点については証明が不十分であるといわざるを得ない。

したがつて、被告らの株主権濫用の主張は採用することができない。

三自己株式の取得の成否、訴外会社の損害と被告らの責任について

1  請求原因1の事実の三池開発に関する部分のうち、三池開発は昭和五〇年ころ資本金の全額を訴外会社が出資した同社の子会社で、不動産の賃貸等を営業目的としており、その営業方針については事前に訴外会社の承認を受ける関係にあつたこと、同2の事実のうち、戸栗が昭和四七年四月ころから訴外会社の株式を大量に取得したこと、昭和五〇年九月末当時における訴外会社の発行済株式総数が六、〇〇〇万株であつたこと、当時の戸栗及びそのグループ名義の訴外会社の株式は少なくとも約一、四〇〇万株であつたこと、同3の事実のうち、当時訴外会社が子会社である三井セメントを合併する計画を有していたこと、戸栗が右合併に反対し、そのため合併に賛成の特別決議を得ることが危ぶまれるに至つたこと、被告有吉、同鹿野、同松川、同大沢、同小松原による訴外会社の常務会において株式買取りの件が承認されたこと、同4の事実全部(株式買取り及び売渡しの実行)、同5の事実のうち右株式買取り及び売渡しの結果計算上三池開発に原告主張の額に相当する資産の減少があつたこと、以上の各事実は当事者間に争いがない。

2 前記一及び右三1の争いがない事実に、〈証拠〉を総合すると、三池開発による訴外会社株式の買取り及び売渡しをめぐる事実関係は次のとおりであつたと認められる。

(一)  訴外会社は、明治四四年に設立された鉱業、採石業等を主たる営業の目的とする株式会社であり、戦前は三井物産、三井銀行等と並ぶ三井系の名門企業であつて、当時の株主構成は三井本社が八〇パーセント以上保有するなど、三井系で殆んどの株式を保有していた。

(二)  しかしながら、戦後は占領軍の財閥解体政策に基づき三井本社及び三井家の所有する訴外会社の株式は持株会社整理委員会に移されたうえ、昭和二三年ころから一般に売却されたため、訴外会社の株主は一挙に三ないし四万人に増加した。このため、訴外会社の経営陣からみた三井グループ各社等の安定株主の株式保有率は昭和三〇年代半ば以降発行済株式総数の一五パーセント程度にとどまつており、経営陣は三井グループ各社等の株式保有率が上昇することを希望していた。

(三)  また、昭和三〇年代になると、燃料の中心は石炭から石油に移り、石炭業界は斜陽化の一途をたどつていつた。訴外会社も業績が悪化し、昭和三三年三月期の利益配当を最後に無配に転落した。このような情勢下において、同社は、石炭産業から脱皮して多角的部門へ進出し総合資源会社へと体質改善を図ることを企画し、昭和三二年にセメント工場建設部を設置し、まずセメント事業への進出を検討していた。

(四)  訴外会社は、昭和三八年六月に小野田セメント株式会社、三井物産とともに、他の三井グループ一一社の参加も得て資本金七億五、〇〇〇万円で三井セメントを設立した。その出資比率は訴外会社が二八・六パーセント、小野田セメントが二六パーセント、三井物産一六パーセントであり、その余の三井グループの一一社が二九・四パーセントであつた。

(五)  訴外会社にとつて三井セメントの設立は、経営多角化の第一歩であるとともに、昭和三七年ころ閉鎖した福岡県の田川鉱業所の炭鉱離職者対策として行われたものであつた。したがつて、三井セメントの経営陣は、非常勤取締役については訴外会社、小野田セメント、三井物産から各二名を派遣していたものの、社長以下の常勤取締役九名については全員が、また、幹部社員についても五〇名中四〇数名位が訴外会社の出身者であり、一般従業員についても一〇〇名中九〇名が前記訴外会社の炭鉱離職者で占められており、人的要素においては訴外会社の色合いの濃い会社であつた。

しかしながら、セメントの製造技術については小野田セメントの技術的援助を受けざるを得ず、同社から数名の技術系の人材を幹部社員として受け入れていたほか、セメントの原料である石灰石を同社の鉱山から採掘し、セメントの生産工場やセメント輸送用の鉄道を同社の敷地上に建設、敷設し、また商標も同社の商標を使用し、販路も同社の販売網を利用するなど、生産、販売面では同社に大きく依存していた。

(六)  訴外会社は、昭和四八年八月ころ、政府の石炭分離政策を受けて同社の全額出資により三井石炭鉱業株式会社を設立し、石炭の生産部門に係る営業を分離して同社に譲渡し、訴外会社自身は右会社の生産した石炭を販売するほか、石油、コークス等の燃料、石灰石、タイル、合板建材の販売及び運輸等を営むようになり、生産会社から商事会社的な会社へと変身を余儀なくされた。

(七)  ここにおいて、訴外会社の経営陣は、同社の社会的地位が低下し続けることを防止するため経営のより一層の多角化を図ることを考慮するようになり、当時子会社をして営ませていたコークス、アルミ等の事業を将来訴外会社の内部に取り込み訴外会社自身の営業として行うようにするとの事業方針を実現する第一段階として、当初から合併の希望を持つていた三井セメントを吸収合併し、セメント事業を石炭事業に代わる訴外会社の営業の中心とすることを真剣に検討することになつた。

三井セメントは、昭和四二年から業績が黒字に転換し、昭和四五年には六分の利益配当を行い、昭和四八年ころには売上高が一二〇ないし一三〇億円で一割の利益配当をするなど業績が安定してきており、セメント業界での市場占有率は二パーセント程度となつていた。

また、三井セメントの株主は、三井グループ各社であることから、三井セメントを吸収合併することにより三井グループ各社に訴外会社の株式を割当てることになれば同社の株主の安定化にも寄与するとの側面もあつたし、訴外会社のかつての競争会社であつた三菱鉱業株式会社は当時セメント事業をも統合して業績を向上させており、セメント業界での市場占有率も一〇数パーセントに達し業界第三位の地位にあつたことも三井セメントとの合併を強く推進させる要因となつた。

このようにして、訴外会社の経営陣は、昭和五〇年春ころから三井セメントとの合併を具体的に検討し、小野田セメントをはじめとする三井グループの関係各社と折衝に入つた。

もつとも、昭和五〇年ころ訴外会社は業績が低迷していたものの、三井セメントを吸収合併しなければ直ちに倒産に追い込まれる等の差し迫つた危険があつたわけではなく、また三井セメントを吸収合併することによつて業績が飛躍的に向上するとの見通しがあつたわけでもなく、復配の目途もたつていなかつた。

(八)  戸栗は、昭和四七年四月ころから訴外会社の株式を大量に取得し、昭和五〇年三月末には同人及びそのグループの個人、法人名義の株式を合わせると約九五〇万株(発行済株式総数の一六パーセント弱)を所有する同社の筆頭株主となつていた。

戸栗は、当時、訴外会社の総務部長らに対し、同社は現在は業績が悪いが歴史も古く人材も豊富なので資産株として所有している旨説明し、石炭事業については知識もなく経営に参加する意思もないとして、経営上の問題について経営陣に意見を述べたことはなく、自らは株主総会にも出席しないでただ議決権行使に関する委任状を会社関係者に交付していた。

戸栗は、その後も訴外会社の株式を買い集め、同年一一月中旬ころには少なくとも一、五五〇万株(発行済株式総数の二五・八パーセント)を所有し、同人の賛成が得られなければ三井セメントとの合併について株主総会において三分の二の賛成による特別決議を得ることが危ぶまれる状態となつていた。

(九)  訴外会社の代表取締役であつた被告有吉は、同年一〇月二日ころ、戸栗を訴外会社に招き、三井セメントを吸収合併する件について説明し協力を求めた。これに対し、戸栗は合併に賛成する旨述べた。

(一〇)  ところで、三井セメントと訴外会社との合併については、当初、三井グループの中で小野田セメントが、従来のいきさつや同社の販売網に与える影響を無視したものだとして、強く反対していたが、訴外会社は、まず他の三井グループ各社の了解を取り付け、その後三井グループの幹事会社であつた三井銀行、三井物産の会長らの斡旋、協力を得て同年一一月中旬ころようやく小野田セメントの同意も得ることができた。

(一一)  このような経緯のもとに、訴外会社では、三井セメントとの合併覚書締結承認等を議案とする同月二七日の取締役会の招集手続がとられ、また三井セメントとの間では同日右覚書を取り交わすことが内定していた。

(一二)  訴外会社の取締役総務部長であつた被告野口は、同月二三日ころ、久保田株式課長から戸栗が総務部長に三井セメントとの合併の件でくわしい話を聞きたいと言つて来ているとの連絡を受け、同月二四日、久保田とともに戸栗と会つた。

戸栗は、その席で、三井セメントと合併すれば同社の株主に訴外会社の株式が割当てられるため、結果的には訴外会社の発行済株式総数に対する自己の所有する株式の占める割合が低下することになるとして、合併には反対することを表明した。

このため、被告野口は、三井セメントの現状の経営状態や訴外会社の経営の実情を説明し、三井セメントとの合併は訴外会社の再建のために必要であるとして翻意を迫つたが、戸栗は前記理由によつて合併に反対であるとの態度を変えず、その日のうちには合併について戸栗の同意を得ることは出来なかつた。

(一三)  被告野口は、翌二五日、出社してから被告有吉に前日の戸栗との会談のもようを報告したところ、同被告は、直ちに同年五月まで総務部長の職にあり訴外会社の中で最も数多く戸栗と接触を持つていた柏原宏平(当時監査役)を呼び、戸栗と折衝して同人から合併に賛成の意を取り付けるよう指示した。

(一四)  柏原は、同日午後から連日戸栗と接触し、合併に賛成してくれるよう強く求めたが、戸栗は合併によつて自己の所有する株式の割合が低くなり不利益を受けるとして依然として合併に反対するとの態度を変えなかつた。

(一五)  訴外会社は、柏原が戸栗と折衝中であつた同月二七日、予定通り取締役会を開き、取締役であつた被告らは、訴外会社と三井セメントとの合併及び合併覚書の締結について全員一致で承認し、右両社は、同日合併覚書を取り交わした。

(一六)  戸栗は、その後も合併に反対との態度を変えなかつたが、同月二九日ころには、柏原に対し、訴外会社がどうしても三井セメントとの合併を必要としているというのであれば、自分の持つている株式を引き取つてもらうしかないと述べるようになり、柏原は直ちにそのことを被告有吉に伝えた。

被告有吉は、右報告を聞いた後その場に居合わせた二、三名の常務取締役と相談したうえ、戸栗の所有する株式を三井グループ各社に肩代わりしてもらうことを決定し、柏原に対し、戸栗との間で肩代わりの斡旋交渉をするよう命じた。

そこで、柏原は、被告有吉の意を受けて戸栗と折衝したところ、同人も三井グループ各社が肩代わりすることを承認し、第三者名義となつている株式を含む一、五〇〇万株の引取りを求めた。その際同人は、三井グループのうちどの会社が何株引き取るかは訴外会社の方で決めること、その会社との間での代金額その他の条件面の交渉はすべて訴外会社側で行うこと、右の株式の引取りは年内に行うことを要求した。

(一七)  その後柏原は、買受価額について戸栗と話し合い、一株五〇〇円を一応の目安とし、分割払とした場合にはそれに金利分を上乗せした金額とすることでおおむね同人の同意を取り付け、同年一二月二日その旨を被告有吉に報告した。

なお、昭和五〇年一一月当時、訴外会社の株価はほぼ一株三八〇円台から四〇〇円台を上下しており、同月における最高値は一株四一八円であつた。

(一八)  被告有吉は、同年一二月三日、常務取締役であつた被告鹿野、同松川、同大沢及び同小松原を招集し、担当部長であつた被告野口と、戸栗との折衝にあたつた柏原をも出席させて常務会を開き、柏原の報告をもとに対策を検討した。

常務会ではまず三井セメントとの合併を断行すべきかどうかが改めて討議され、訴外会社の再建のためにはセメント事業への進出が必要不可欠であること、合併の手続が煮詰つた段階に来ていること、この機会を逃せばようやく合併に同意した小野田セメントの態度が変わりかねないことから、三井セメントとの合併はあくまで実現させるべきであり、そのためには合併に反対の意思を表明している戸栗の所有する株式を同人の要求している価額で三井グループ各社に斡旋することによつて合併を実現させるしかないとの結論に達した。このような結論に至る過程では、右のような方法により、訴外会社の発行済株式総数に対する三井グループ各社等の安定株主の所有する株式の占める割合が急上し、その結果、今後、戸栗のような大株主が出現することを防止することができ、コークス事業等の統合による総合資源会社への転身という経営方針の実現を阻害する事態の発生もなくなるという利点があることも考慮された。

しかしながら、戸栗が買取りを求めていた株式は一、五〇〇万株もの多数にのぼつているうえ、買取り期限が同月末とされていて一か月足らずの期間しかなく、しかも戸栗の要求している買取り価額は当時の市場相場よりはるかに高額であつて、三井グループ各社といえども、当時業績が低迷し今後の業績の向上についてもはつきりした見通しのない訴外会社の株式をそのような価額で買取ることに応じないことは明らかであつた。

そこで、前記常務会では、訴外会社の全額出資の子会社であり、訴外会社の遊休地を譲り受けこれを利用して遊園地やゴルフ場を経営することを事業の内容としていた三池開発が、当時地価の高騰によつて含み資産が巨額なものになつていると見込まれたことから、とりあえず同社に一、五〇〇万株全部を買い取らせ、同社に戸栗からの買取り価額と将来の三井グループ各社に対する売渡し価額(時価)との間の数十億円にのぼると見込まれる差損を負担させることを決定し、五〇〇円に上乗せする金額その他契約条件の細部の詰めはすべて被告有吉に一任した。以上の決定はすべて常務会の全員一致で行われた。

(一九)  三池開発の代表取締役社長であつた原田逸郎は、同日被告野口から連絡を受け、訴外会社では、三池開発に戸栗の所有する株式一、五〇〇万株を八〇億円位で買い取つてもらい、その後右株式を三井グループ各社に引き取つてもらうことを決定したこと、株式購入資金の手当や三井グループ各社への譲渡の斡旋は訴外会社の方で手配する考えであることを知らされた。

三池開発はそれまで戸栗の所有する株式の買取りを検討したことはなく、右取引を行えば三池開発に数十億円もの損失が出ることは明らかであつたが、三池開発は訴外会社が全部の株式を所有する同会社の子会社であるうえ、営業方針については事前に訴外会社の内諾を得なければならないとの内規があり、役員は訴外会社の出身者であるという両社の関係から、三池開発が訴外会社の決定に反対する余地はなかつたので、原田は、三池開発が戸栗から訴外会社の株式を買い取ることを了承した。

(二〇)  被告有吉は、同月四日、訴外会社で柏原立会のもとで戸栗と会い、戸栗の所有する株式一、五五〇万株(右当日このように株式数が変更された。)を三池開発が一株五三〇円合計八二億一、五〇〇万円で買い受けること、代金は分割払とし、一部を現金で、残部を三池開発振出の約束手形で支払うこと、株券の引渡しと代金の授受は同月二五日に行うことで合意に達した。

戸栗との売買契約の当事者である三池開発の原田社長は、この日の会談に同席しなかつたし、その後も戸栗と会つたことはなかつた。また、戸栗も同日までに三池開発の役員や従業員に会つたことは一度もなかつた。

(二一)  同月四日以降二四日までの間に訴外会社と戸栗との間で代金の支払方法その他契約の細部について折衝が行われ、その結果、契約締結日を同月二五日とすることとして、その日に一二億六、五九四万九、〇〇〇円を現金で支払い、残金の支払にあてるために三三億二、一〇五万一、〇〇〇円につき昭和五一年一月三一日、三六億二、八〇〇万円につき同年一一月三〇日を各支払期日とする合計一〇通の約束手形を交付すること、三池開発振出の右各手形については訴外会社が手形保証をすることが決められた。

そこで、訴外会社ではその旨の戸栗と三池開発との間の有価証券売買契約書(但し、手形保証の点を除く。乙第八号証)を作成し、原田は、訴外会社から連絡を受けて同年一二月二四日上京し、右契約書に押印した。

(二二)  翌二五日、訴外会社の担当社員らが立会つて東京相互銀行で戸栗による右契約書の調印がなされ、一、五五〇万株の株券の引渡しと現金及び訴外会社の手形保証のある三池開発振出の約束手形の授受が行われた。

(二三)  訴外会社は、同月二六日、被告ら全員の取締役が出席のうえ取締役会を開催し、三井セメントを吸収合併することを内容とする同社との合併契約を締結すること、その合併契約書の承認の件を議案とする臨時株主総会を昭和五一年二月二七日に招集することを全員一致で承認可決し、同日三井セメントとの間で合併期日を同年五月一日とする合併契約を締結した。

なお、右取締役会の席上で被告有吉から戸栗所有株式の買取りの件の詳細が報告された。

(二四)  三池開発が買い受けた訴外会社株式一、五五〇万株は、訴外会社の斡旋により、証券取引所を介さないで、昭和五一年の一月から三月にかけて、三井物産に五〇〇万株、三井銀行に一四〇万株、その他三井グループ各社や訴外会社の取引先に各一〇ないし数一〇万株が一株三〇〇円(一部は三〇七ないし三〇八円)総額四六億六、三四〇万円で売却され、この結果三池開発の資産は戸栗からの買取り価額と三井グループ各社等に対する右の売渡し価額の差額である三五億五、一六〇万円相当額だけ減少した。

なお、訴外会社の株価(各月の平均値)は同年一月が三五四円、二月が三二五円、三月が三一六円であつた。

(二五)  戸栗に対する支払代金の資金手当は、三池開発の不動産を処理することなく他からの借入金によつてまかなわれたが、これらはすべて訴外会社の経理部が担当して三池開発の名前で金融機関等から借入れを行い、またこれら借入金の返済も訴外会社の経理部がその処理を担当した。

(二六)  訴外会社は、同年二月二七日の臨時株主総会で三井セメントとの合併契約書を承認可決し、同年五月一日、三井セメントを吸収合併した。

(二七)  訴外会社は、昭和五三年三月期に二〇年ぶりに復配して六分の利益配当を行い、その後もこれを継続し、昭和五五年三月期には八分、同年九月期には一割の配当を実施した。

また、三井セメントを吸収合併した後は発行済株式総数に対する三井グループ各社及び訴外会社の取引先といつた安定株主の所有する株式の割合は約六〇パーセントに達している。

3  右認定事実を前提として、商法二一〇条違反の有無、訴外会社の損害、被告らの責任について順次判断する。

(一)  被告らは三池開発が戸栗所有の訴外会社の株式を買い取つたことは商法二一〇条にいう訴外会社による自己株式の取得に該当しない旨主張する。

右に確定した事実によると、確かに戸栗と売買契約を締結したのは三池開発であり、売買代金も三池開発名義で支払われている。しかしながら、三池開発は訴外会社がその全株式を所有する訴外会社の子会社であつて、法人格は別個のものであるけれども、実質的には両者の利害が一致しており三池開発は訴外会社の一部門にすぎないといい得るうえ、訴外会社は戸栗との間で同人の所有する株式を三池開発に買い取らせることを決定したのみならず、代金額、その支払方法及び時期、契約締結日等右契約の内容となる事項についてそのすべてを取り決め、戸栗と三池開発との契約書まで作成していること、右契約の一方当事者である三池開発は契約締結に至るまでの過程で契約の相手方となる戸栗と全く交渉をしていないこと、右売買代金の調達は借入によつてまかなわれたが、右借入及びその返済は訴外会社が三池開発の名前でその処理を行つたこと、右株式の三井グループ各社等への売渡しについても相手方の選択、代金額等そのすべてを訴外会社において決定し実行したこと、右株式の買取り及び売渡しはもつぱら訴外会社がこれを必要としたこと等の事情が明らかであつて、これらを考え合わせると、形式的には三池開発が右株式を取得したものであつて訴外会社自身による取得ではないけれども、契約の実態としては訴外会社自身が契約の当事者であるともみられるものであり、実質的に自己株式取得と同じ弊害が生じる点において訴外会社が直接自己株式を取得した場合と何ら異なるところはない。そうだとすると、三池開発による右株式取得は訴外会社自身による自己株式の取得と同視しうるというべきである。

(二)  被告らは、右株式の買取りが訴外会社の自己株式取得にあたるとしても、なお商法二一〇条の法意に反するものでない旨主張する。

商法二一〇条の立法趣旨は、会社の自己株式の取得が株主に対する出資の払戻しと同様な結果をもたらして資本の充実をおびやかし会社債権者を害するおそれがあること、会社支配の維持の手段として用いられるおそれがあること等種々の弊害を生み、その際の責任の追及には実際上困難を伴うことが多いため、一般予防的見地から同条各号の例外を除きこれを一律に禁止しようとするものであつて、もつぱら政策的理由によるものである。そうとすれば、明文の適法事由に該当しなくてもこのような弊害のない場合は勿論のこと、たとえ弊害がないとはいえない場合であつても、株主が反社会的利益追求の目的のため(たとえば、会社に不利な契約を締結させ、あるいは会社の機密を盗取するといつたような目的のもとに)会社の株式を買い占め、これによつて会社の経営を支配し、会社の経営陣のみならず他の一般株主、債権者、従業員、取引先等会社の関係者に重大な損害を与える危険が高く、かつこれが差し迫つている状況下で、右株主の野望をくじき、会社の受ける重大な損害を回避するために必要な対抗策としての自己株式の取得は、会社の発行済株式総数に占める割合、これの取得によつて被る会社の損害の程度等を勘案したうえ、なお相当なものとして許容される余地が全くないとはいえないと解される。

そこで自己株式の取得が右許容される場合にあたるかどうかについて以下検討する。

まず、後記(三)のとおり、訴外会社は本件自己株式取得により財産的損害を被つており、これが自己株式取得禁止の制度趣旨である資本維持の原則に反することはいうまでもないから、右前者の場合にあたらないことは明らかである。

次に右後者の場合に該当するかどうかにつき考える。本件自己株式取得の経緯をみるに、訴外会社はその当時、経営の多角化を図ることにより斜陽化に歯止めをかけ業績を回復する必要性に迫られており、三井セメントとの合併はこれを達成するために必要な施策であつた。当時訴外会社は、大量に同社の株式を買い占めて所有していた戸栗から一たんは右合併の了承を得、一方ようやく小野田セメントからも合併の了解をとりつけ、合併に障害はなくなつたものと考え、その手続を進めていた。ところが、合併覚書締結の直前になつて、戸栗が前言を翻し、右合併に反対の態度を表明したため、あわてて同人に対する説得を試みたが成功せず、結局同人の申入れを受け入れ、本件自己株式の取得に踏み切つたものである。この判断に至つたのも、右合併を遂行するにはこの機をおいてほかにない(一たん振出しに戻つた後再び右合併計画を進めようとするときには小野田セメントが態度を変えるおそれもある)との訴外会社経営陣による経営判断があつたものであり、右事情の下では、この判断を経営者がもつぱら自己の保身を図るためにしたものとして一概に非難することはできないと思われる。またこのことは、右経営判断に基づく本件自己株式取得の結果合併が達成でき、これが訴外会社の経営を安定させ、業績を回復させる効果をもたらした事実からも裏づけられる。しかしながら、このような事情があるからといつて、そのことから直ちに、本件自己株式の取得がこれを禁止した明文の規定にかかわらず許容されるものとするに足りる合理的かつ十分な事由を備えていたということはできない。けだし、その当時右合併を遂行しなければ訴外会社は倒産必至であるとか、戸栗が反社会的利益追求の目的で訴外会社を倒産に陥れる行動をとる直前の状態にあるといつた危機的状態にはなく、当初の予想に反して合併反対に回つた戸栗の株式数のため株主総会の特別決議を得られなくなるおそれが強く、そのため合併が計画通り遂行できなくなるというにすぎないものであつたからである。もしそうなつた場合に、これが訴外会社に与える影響は決して小さいとはいえないけれども、同社の経営者としては、法を遵守して戸栗に対する地道な説得作業を続けるか、それができなければこの段階で合併を強行せず、後日を期すべきであつたといわなければならない。また、本件の場合、安易に自己株式の取得を許容することは、一部株主の不法な意図(買占め株式の市場外での高価買取り)の実現に協力することになり、世上まま見られるこのような風潮を一層助長する結果にもつながるおそれがあるといわざるを得ない。しかも、取得した自己株式の数量は、訴外会社の発行済株式総数の約二六%を占める大量のものであつて、これによつて同社が被つた損害も三五億円余にのぼるものであり、同社に看過し難い財産的損害が発生したことは否定し難いところである。前記のように訴外会社の業績回復に右自己株式の取得が一因をなしたことは認めざるを得ないし(なお訴外会社は株式の安定化も達成しているが、これは、自己株式の弊害である会社の資金で経営者が会社支配の維持を図ることにつながるから、自己株式を肯定する理由にはなり得ない。)、訴外会社が自己株式を遅滞なく処分したことは事実であるけれども、これらの事情はなお右のような弊害を払拭し去るだけの事由たりえないというべきである。以上の事情を総合勘案すれば、本件自己株式の取得が商法二一〇条の法意に照らして許容されると解することは到底できず、結局被告らの抗弁は失当として排斥を免れない。

(三) 被告らは、原告主張の損害は訴外会社が三池開発をして株式を取得価額よりも廉価で転売させたことにより生じた損害であつて、自己株式の取得そのものにより生じた損害ではない旨主張する。

しかし、ここで要求される損害は、自己株式の取得と同時に発生するものである必要はなく(むしろ、一般的に会社が自己株式を時価より高い価額で買い受けたとしても、これを保有している限り、会社において譲渡株主に対し自己株式取得の無効を主張して売買代金の返還を求め得るから、会社に損害はないともいえるであろう。)、これと相当因果関係のある損害であれば自己株式取得により生じた損害であるというべきである。これを本件についてみるに前記(三2(一六)ないし(二五)参照)認定事実によれば、訴外会社は三池開発をして自己株式を取得させる際、安定株主対策のため取得後早期に三井グループの各社に時価で買い取つてもらうことを予定しており、これによつて数十億円にものぼる損失が発生することを覚悟していた。また客観的にも当時は訴外会社の業績不振の状態が続いており、たとえ合併の遂行が確実になつたとしても早期に訴外会社の株価が急騰する見込はなく、また三井グループの各社に短期間で一、五五〇万株もの大量の株式を買い取つてもらうにあたり市価以上の価額を期待することは不可能であつた。訴外会社は、このような状況下で三池開発をして戸栗所有の株式を市価を大幅に上回る価額で買い取らせたうえ、三か月余りの短期間内に三井グループ各社等に市価をやや下回る価額で転売させ、その結果、三池開発に右の差額である三五億五、一六〇万円相当の資産の減少をもたらしたのである。してみれば、右の資産の減少は自己株式取得当時から主観的にも(転売価格が当初予定の市価を若干下回つたことは、大量の株式を短期に処分する必要上当然予想しうるところである。)客観的にも通常予想し得た事態であるから、本件自己株式の取得と右の資産減少による損害との間には相当因果関係があるといわなければならない。

なお、右損害は直接には三池開発の損害であるが、前記(三3(一)参照)の三池開発と訴外会社の関係に照らして、これを訴外会社の損害と評価することができる。

(四)  そこで、被告らの責任について判断する。

原告は、まず、被告らが昭和五〇年一一月中旬に開かれた取締役会において右株式を三池開発に買い取らせる旨の決議に賛成したと主張するけれども、これを認めるに足りる証拠はない。

しかしながら、原告が予備的に主張する訴外会社の常務会において被告有吉、同鹿野、同松川、同大沢、同小松原が右株式を三池開発に買い取らせる件を承認したことは争いがなく、これにより三池開発が買取りを余儀なくさせられたことは明らかであつて、その結果訴外会社に対し前記(三)の損害を与えたものであるから、右被告ら五名は、商法二六六条一項五号に基づき損害賠償責任を負うべきである。

また、被告野口は、訴外会社の取締役総務部長として右常務会の前後を通じて右買取り及び売渡しに関与し、右常務会にも出席しており、被告有吉ら五名の右法令違反行為を熟知しながらこれを支持したものであつて、右被告ら五名の違法行為に加功したといわざるを得ないから、右被告らと同様の責任を負わなければならない。

したがつて、右六名の被告らは、連帯して、訴外会社に対し、同社の被つた損害である三五億五、一六〇万円とこれに対する損害発生の日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があると認められる。

他方、その余の被告らについては、右株式買取りの方針決定に関与し、これを支持したとの原告の主張を認めるに足りる証拠はないから、損害賠償責任を問うことはできない。

四以上の次第で、被告有吉、同鹿野、同松川、同大沢、同小松原及び同野口に対し、同被告らが賠償すべきもののうち、一億円と右損害発生の後の日である昭和五一年一二月一日からの遅延損害金の支払を求める請求は理由があるからこれを認容し、その余の被告らに対する請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤井正雄 裁判官山下 寛 裁判官堀内 明)

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